最近とある音楽系YouTuberにハマっており、その方の動画を何度も繰り返し見ている。
名前は出さないが、いわゆる”バックビートおじさん“だ。(←これだけでわかる人にはわかる)
彼にはジャズ発祥の地として有名な、アメリカはニューオーリンズでの活動実績もあって、演奏も間違いなく本物だろうと思う。
決してテクニカルというわけではないのだが、聴いていて心地よいし、アドリブのフレージングもかっこいい。あくまで私の主観ではあるが。
悪い例の再現もうまく、いわゆる日本人がよく陥りがちなポイントを突いているとも思う。日本人というよりは、今一歩垢抜けないが、どこが悪いというわけでもないミュージシャン全般と言った方がいいだろうか。
偉そうに言ったが、私自身もそうかもしれないので自戒を込めて。
まず彼の主張を纏めると、
- 日本は古来より頭重心のリズムの取り方をする
- アメリカもカントリーなど、かつてはそうだった
- 現状アメリカの音楽は基本的に全てバックビートに重心を置いている
- 日本には頭重心がダサいという価値観のみが伝わり、重心の置き方の理論が十分に伝わっていないため、元来の頭重心も失われ、バックビートにも重心を置けていない中途半端な状態である(誤拍裏打ちと彼は呼んでいる)
- ヨーロッパのジャズ界にも同様の現象が見られる
かなり厳しい意見にも思えるが、彼によると、「日本人にも正しいインフォメーションさえあればできないはずがない」との事で、日々それを伝えるべく活動されているようだ。
とはいえ、「バックビートに重心を置く」という表現があまりにも感覚的すぎて、その感覚が理解できない人には、どうしてもスピリチュアルな話に聞こえるかもしれない。
感覚を表現する言葉選びは人によっても千差万別なので、もっと客観的に測れる指標はないものかと。
もちろん最終的には感覚でも理解する必要はあると思うが、まずは頭重心とバックビート重心では出音にどういう差があるのか、語弊を恐れずにキッパリはっきり言い切ってしまう必要があると私は考える。
もちろんバックビートに重心を置く事により変化するのはその一点だけではなく、バンドのフレーズ構成や作曲にまで影響を及ぼす物なので、一言で言い表せるものではないのもわかるのだが(と前置きした上で)、仮にすでにある曲を全く同じようにコピーした場合において、違いが発生するのは
“発音タイミング“
である。
要は4/4のビートというのは、等間隔に4等分してるわけじゃないらしいのだ。
これをご本人が見たら烈火の如く否定されてしまうだろう事は100も承知の上で言い切ってみた。
とはいえこれは彼の発言の端々からヒントを得て辿り着いた私なりの答えなのである。
彼は
- 日本人は足が遅い(足とはバスドラムのキックの事だと思われる)
- スネアワイヤーの存在意義を考えろ
- 重心っていうのはアクセントではない
- 日本人は重低音を聴かせて音楽を聴いていないためにバスドラムの正確な位置を理解していない
と言っている。いずれも発音タイミングにまつわる話だ。
かと言って彼は、バスドラムを早める、あるいはスネアを遅らせるといった安易な思考で演奏する事の危険性も語っている。
それを再現するためには、
- 重低音を効かせて音楽を聴きこむ
- 4拍目を1として1、2、3、4とカウントを取る
- それをひたすらやり込む事によって感覚まで落とし込む
- 自分は10年以上かかった
と言っている。
おそらく最後の部分を彼は一番言いたいのだと思う。 とはいえ結局のところ出音にどういった変化があるのかを知らずに10年もひたすらそれに取り組むモチベーションは生まれないだろうと私は考えるので、あえて言い切ってみた。 ご理解ください。
音楽なんてものはどこまでも自由であるべきであり、本来優劣を付けるべきではない、というのが私の基本スタンスなのだが、そうは言っても、多くの人が心地よい、あるいはクール(今はドープというべきか)と感じるものには、一定の法則は存在するだろうことも認めざるを得ない。
私は人の演奏を批判できる立場にはないし、自由であるべき論を支持するが、同時にどこまでも音楽に対して厳しい姿勢を貫いている方たちの意見もないがしろにはしたくない。
商業的に大成功を収めているにも関わらず、プロ受けしないものはそれぞれのジャンルに存在する。
音楽は自由だと言いながら、その同じ口でKenny GやLimp Bizkitを馬鹿にしているのは音楽業界の欺瞞である。
それよりは彼ら、こうあるべき論の方が誠実であると言えるだろう。
というわけで、私も10年後にようやく感覚を掴める事を目指して、音楽を楽しみたいと思う。
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